最初は「仕事を辞めて大好きなお酒を飲む量が増えたから?」と思っていたのですが、
色んな物を無くす頻度が増えたので嫌がる父と一緒に病院へ行き、検査の結果この病気が見つかりました。
分かった時には記憶に重要な脳の「海馬」の萎縮がかなり進んでおり、歩き方もすり足になっていました。
元々、糖尿病も患っていたので薬を飲んでいましたが、
自分で管理することも困難になってしまったので今では私が薬を管理しています。
祖父や祖母で一通り介護は経験しているものの、穏やかだった祖父達とは違い、
亭主関白の性格から思い通りに身体が動かないと腹の底から叫ぶ父に最初は戸惑いましたが、
今では「叫ぶぐらい元気があるんだな」と受け入れています。
介護を始めた当初は天気の良い日には一緒にのんびりと散歩に行こうかなと考えていましたが…
大声大会では許される叫び声も家の外では「明らかにおかしい」と他の人に認識されて
遠巻きに見られてしまいます。
歩くのが辛そうなので「車椅子だったら楽じゃない?」と
勧めてみても父は「そんな物に乗るような歳じゃない」と変な意地を張って受け入れてくれません。
病気の自覚がない父と意見が衝突したり、出来ないことが増えていく日々にしんどい時もありますが、
この病気になったことで今までほとんど無かった父との会話のキャッチボールが、
ようやくこの歳になって出来ていることを嬉しくも思っています。
ドラマの最後のように親しい相手のことを忘れてしまうことが、父にもいつかは来ると思います。
いつまで娘と認識してくれるかは分かりませんが、今は苦労しながらも父と二人三脚で生きていこうと思います。